ポーカーフェイス
昨日、流川と喧嘩した。 アイツとの諍いはいつだって取るに足らない理由からで、どちらが先にキレるか程度の差はあっても、十中八九、オレの気持ちがあの木石につうじないところから始まる――と思う。始まりが笑っちゃうくらいに些細なくせに、笑えないくらいに深刻な事態に発展するのもよくあるパターンで、晴れて両想いとなったあの日から、穏やかにお付き合いさせて頂く日々のなんて少ないこと。指折り数えても、喧嘩してる期間の方が長いんじゃないだろか、と哀しくなる。 昨日の原因もその最たるもので、久しぶりに会って近くの公園で思う存分マッチアップして、その後オレのマンションに帰りつき、有無を言わさないで押し倒した。確かに抵抗は激しかった。やめろ、変態と毒づかれるのはいつもの通過儀礼だし、その抵抗もバスケした後の、汗を落としてないからって理由だと思って続行した。 酷いヤツだと思われるかも知れないけど、敢えて言おう。 無愛想でものぐさで無精な流川からは、オレが喜ぶ類のアクションなんかなにもなく、お誘いはおろか両手を広げて迎え入れてくれたことだって一度もない。かなりの確率で今後もないだろう。あったとしたら、オレは間違いなくその日に宝くじを買いにゆく。 それくらい、あり得ないってことだ。 欲情の在り処とそれに至るまでのプロセスが、ひとと違った回路を形成してるんだと思う。ヤツの三大欲は、間違いなくバスケ、食欲、睡眠で99パーセントを占め、そこにちょっと付け足しの性欲らしきものがある。そこを怒らせないように宥めすかして刺激しても、情欲のスイッチがキッチリと入る瞬間までヤツはオレに毒づき続ける。そりゃ、もう盛大に。 「ヤメロっつってんだろっ」 「ここでやめるほど、男は廃ってないよ」 「気持わりぃ。べたべたするし、ひっつくな」 「じゃ、風呂場へ行く?」 「風呂ってのはひとりで入るもんだっ」 「ふたりで入った方が気持ちよくなることだってあるんだけど」 なんか近頃のオレの言動はすっかりエロ爺化してる。 ざけんなよっ、の『ざ』の言葉と同時に繰り出された左フックを払いのけ、Tシャツの襟から覗く鎖骨のくぼみに舌を這わせた。 敏感な反応が即座に返り、気をよくしたオレは裾から素肌に手を這わせた。しっとりと汗ばむ冷たい肌膚が段々と熱を帯びてくる。その変化が楽しくて、奇跡のような肌質を執拗に撫でまわしていると必ず、我慢の利かない流川の吐息が艶の度合いを深める。 スイッチが入るのはこの辺りからかな。それまでの前戯はほとんど毎度強姦の様相で、こんな汚らわしい行為とばかりに睨むコイツに呆れたもんだけど、スイッチの切り替わった流川はふつーの男子高校生。試合同様、貪欲に出来ている。 その痴態を知っているから、オレの懊悩も深いわけで。 けど、ざま――いや、残念なことに、体力に歴然とした差があるのはコート上だろうがベッドだろうがおんなじだ。欲望を吐き出して小指の先ひとつ動かせない流川が、そのままお泊り決定になるのは、これもよくあるパターン。 ここまではごくごくふつーのやり取りだった。 ま、そのあと何が悪かったって、タイミングと、ちょっとした言葉選びの失敗だろうな。次の日が日曜だったけど、練習があるのは陵南もだし、お泊りだろうがなんだろうが、朝早く叩き起こせば間に合うくらいの気持ちだった。 腕の中に抱いた流川の髪のを指で梳きながら、至福のひと時を堪能していると、珍しく、一度眠った流川の瞳が、あり得ないくらいにぱっちりと開いた。 地震の前触れかと思ったくらいだ。猫は予知、出来たっけか? 「えっと、腹でもへった?」 心を落ち着かせあり得る方の疑問を口にするけれど、フルフルと腕の中の黒髪が揺れる。 「なに、気持悪くて眠れねー? 風呂、入るか。その間にシーツ代えといてやるから」 そんな気遣いにもヤツは無言のまま、オレの肩に両手をついて身を起こした。 「流川?」 「帰る」 「え、いまから?」 まっぱのままベッドから這い出し身づくろいをし出した流川の背中には、怒髪天をつく怒りマークがブスブスと燻りだし始めていた。オレのせい? なんで? ヨクなかった? そんなことないよな。十分だったと思うけど、これはおごそかに鎮火に向かうしかない、のか? ちょっと不本意ながらも、年上の余裕と度量の深さで悦に入って、これくらいの譲歩は、なんらオレのプライドを傷つけない。 「もう遅いしさ。泊ってった方がいいんじゃね?」 穏やかにかけた申し出に、背中越しの冷たい声が返った。 「あした、練習試合がある」 「そーなんだ」 「海南と」 「ありゃ」 「試合前はしねーっつっただろうがっ」 ようやく振り返った声の持ち主の様相は、地面を這うほどのドスの利いた口調に比例して、そりゃ、ハンパなかった。 あぁ。そっちか。 確かに言いました。身に受けるダメージはオレには測れないほどで、その点に関しては一生、頭が上がらない。だけど、したい。流川だってそれは分かってくれている。どうしたって次の日のプレイに支障が出る。だから、その折り合い策のひとつとして、公式戦前日は絶対にしないと、流川の目の前で正座して強く宣言したんだ。 それが五箇条の御誓文、第一条。 公式戦日程はだいたい同じだし、あとは流川なら公立高校大会とかがあるくらいだから、割と把握はしていた。そうは言っても練習試合までは、他校のオレでは分からなくても仕方ないと思うんだけど…… しかもよりによって海南大附属か。流川が怒るのも無理はない。一度も勝てていない相手だ。 万全の態勢で挑みたいだろう。 けど……なんだろ。釈然としない。 「知らなかったんだよ。流川、言わなかったし」 「言える暇、なかったじゃねーか」 「練習試合って、一言も言わなかっただろ」 「言おうとしたけど、てめーが……」 反身を戻した流川がベッドに両手をついて、立ち上がるタイミングを計っている。そろそろと痛みを逃がしながら格闘している。こんな身で、チャリをこいで帰るつもりか。絶対にいま動かない方がいいって。あしたになれば、ちょっとは回復しているだろう。そう言うと、てめーの顔、見てると余計に具合が悪くなる、とまで言われた。 「そこまで言うことないじゃないかっ」 「てめーは、てめーの都合ばっか押しつけてくる」 「なんかいつもオレばっか悪もんだな。オレばっかおまえが好きで、オレばっかおまえを欲しがってるって? 本気でそうなの、流川?」 そう言って後ろから抱き締めると、見えないのにキュっと唇が引き絞られる音がする。そんなことないよなって、常に確認しなきゃならないんだから骨の折れる相手だ。さらに、 「あした負けたらてめーのせいだからなっ」 と、ヤツ当たり承知の科白を吐いてくる。 「体調不良なときの試合運びを練習すると思えば」 「コロスぞ。本戦まで、牧とできるの、あしたが最後なんだっ」 「まだ練習試合じゃないか」 オレを振り切り、勢いつけて立ち上がり振り返った流川が、鬼のような形相で握り拳を掲げていた。 やばい。言っちゃいけない科白だった。 「た・か・が練習試合、だ?」 「たかがなんて言ってねーよ」 バックスイングする音。来るっ。オレはもう、両手を顔の前でクロスさせて、その暴挙から身を守るしかなかった。わぁ、ヤメロ、も言わせてもらえず、背後が壁だったから逃げ場もなく、保護した頭部じゃなくて腹にドカッと衝撃が来た。信じられないくらいに痛かった。せり上がる胃液と痛みから逃れるために身を折り曲げたオレを捨てて、ヤツはドスドスと物音も激しく出て行った。 翌日の湘北と海南大附属との練習試合がどうなったかなんて知らない。彦一に聞けば詳細にわたって調べてくれるだろうけど、オレだってこれ以上尻尾振る気にはなれない。 喧嘩慣れしていないオレの方こそ、一日中吐き気が治まらなくて早々にお休みの連絡を入れた。理由は食中毒だということにしておいた。実際、スゴイもんに中ったも当然で、翌日もその翌日も重たい鉛みたいなものを腹に抱え込んで登校した。 牧さんがなんだってんだ。 練習試合。ああ、そりゃ大事でしょうよ。制止を振り切ったのもオレですよ。確かに聞いてなかったのは認めるよ。全部オレのせいにすればいいじゃん。だからって殴るこたぁないだろ。フンと吐き捨てる秋の空色のなんて深さ。 薄闇がさらにもの哀しさを強調していた。 ちょうどあすで一週間という金曜日。まだなんの音沙汰もない。もうすぐウインター杯の予選が始まるから、また長期に渡って会えなくなる。そりゃ顔見たくないくらいにムカつくことだってあるし、一発腹にブチ込まないと収まらないことだってあるだろう。それはお前だけじゃないぞ、流川。色々と制約があって期間もあって、オレたちに残されてる時間は無限じゃないんだ。来年オレは三年生。引退、そしてその後のまだ決めかねている進路。いまみたいに、気が向けばいつでもバスケ出来る距離じゃなくなる可能性が高い。 その時間を惜しむ気持を流川は理解していない。オレの一年とあいつの一年の重みが違う。もったいなくて、喧嘩なんかしてる暇はないと思うんだ。 いっぱい会わなきゃいけないのに。いっぱい勝負しなきゃいけないのに。 喧嘩しても一週間はやめろ。おまえはいつまでも引っ張るタイプじゃないだろう。 グダグダといない相手に愚痴るんだったら、なんでオレの方から水を向けないのかって? 一方的に殴って出てった流川が悪いんだから、その後始末はアイツの役目だ。そこまで甘やかせるつもりはない。今回は絶対に折れない。時間もなにもかもがもったいないと言う口からすれば、すごい矛盾した話だけど。 そう思いながら玄関の扉を開けると、朝、消したはずの電気が点いていた。思わず落ちた足元には見慣れたナ○キのバッシュ。短い廊下の先からは微かなひとの気配。来てたんだと知って全身の力が抜けそうになった。年上の余裕とか言いながら、オレ、相当キリキリしてたんだろうな。 殊更ゆっくりとバッシュを脱いで、半開きの中戸を開いた。 想像していたとおり、よそ様の家のローソファに長々と横たわり、健やかな寝息を立てている男。時計を見ると午後七時過ぎ。 珍しく早く練習が終わったとしても、流川なら居残り練習真っ只中な時間帯だ。珍しいなんてもんじゃない。 オレの顔が自然と笑み崩れる。ちょっと自分でも気持ち悪い。こんなスカした野郎にも罪悪感が存在したんだ。 人慣れしないノラ猫がオレのテリトリーに侵入して安心しきって寝入ってる姿ほど可愛いもんはない。殴られた事実を忘れ去ってしまえるほどじゃないが、ま、許してやるかぐらいの心持になる。 しかも、腹まで出して、警戒心を解いて服従を示す野生動物みたい。 どんな寝相の悪さだ、と手を伸ばしかけて、オレの動きが停止した。 めくれ上がったカッターシャツから覗くわき腹。 わき腹。 あれ、と思う間もなく血流が一カ所に集中する。 いや、落ち着け彰。思いだせ試合を。ユニフォームのあの魅惑の鎖骨。太もも、脇、項。 あの露出に比べたら、こんなくらいどーってことねぇさ。 それどころか、あ〜んなことやそ〜んなことまでしちまってる仲で、いまさら腹チラひとつでウロタえるもんでもないだろう。 引っ掛かるな、これは罠だ。撒き餌だ。仕掛け餌だ。きっと、お誘いだわ、流川ったら確信犯なんだから、と頂きますをして飛びかかったら、また、これでもかというくらいにボコられるに決まってる。 そうは思っても手に吸いつくようなあの感触を知っているオレの衝動が止まるはずもなく、しゃがみ込んで、めくれたシャツをさらにペラリとめくってオレはまた固まった。 なんだ、この、この、いかにもそれっぽい痕は。 オレじゃない!! 誓って言うがオレじゃない。場所の問題でもない!! 五箇条の御誓文。第二条だ。 体育会系男子の流川にとってキスマークはご法度だ。人前で盛大に脱ぎ着しなくちゃならないし、ユニフォームに至っては、あんなもの、なにを隠す手段にもならない。下手な角度から覗けば半裸に近い状態になる。そんなもの、赤木さんとか彩子さんとかに見つかった日にゃ、犯人は瞬時に判明して、オレがどこへ逃げようが草の根を別けてでも探しだされるだろう。 確かめなきゃと、ゆり起しかけて、その痕をマジマジと見た。なんかちょっと違う。うっ血というよりも、青タン? 殴られた感じの 方が近い。その青タンが治りかけて黄色くなってる。そっか。この大きさと位置だと肘がモロにわき腹に入ったか。な〜んだと安心して別の怒りが込み上げてきた。 だれだ。だれの仕業だ。オレの流川にこんな痕をつけやがって! ポジション的に流川をマークするに値する人間は数限られてる。味方だろうが容赦ない桜木か。ペイント内に切り込んでいってブロックに入った赤木さんか。宮城の機動力も侮れない。いや、むしろ土曜に練習試合をしたっていう牧さんかっ。 あの野郎と拳を掲げると、その変な殺気に反応したでもないだろうに、流川がモゾっと身じろいだ。寝起きの悪い男の瞼が二、三度揺れてそのままパッチリとお目覚めになったものだから、異様に接近し過ぎていたオレは慌てふためいた。 ほらほら、案の定、何してやがるとばかりに雰囲気が剣呑に尖る。 浮き沈みの激しかったオレの内心の葛藤なんか流川にはなんの関係もない。殴って出て行ったことすら記憶にないだろう。ただバスケしたいがために、ここでねっ転がってオレの帰りを待っていた。 だから。 オレは立ち上がり降参の格好で、さわやかににこやかに告げるしかない。 「流川、おはよう」 |
喜んでいいですか?と、いうか自慢してもいいですか…!?
もう、笑顔が止まらなくて口内炎痛いくらいです!
「clover flavor」木島さまより頂きました腹チラ仙流!!!
うわぁん果報者!!!
私の描いたコレで、お話書いてくださいました!
あぁ…ああああああああっいいのかな!こんな幸せでいいのかなっ
仙道さんの達観してないカンジが大好きです。かっこいい!大好きっ!テンパりぶりが愛しい…!
そして五箇条の御誓文残り3つを是非実例交えて知りたいです(笑)
てゆか仙道さん正座で宣言って!
仙道さんカッコイイ仙道さんカッコイイ仙道さんカッコイイ。
そして楓ちゃんが可愛すぎる!
男のかっこよさは、愛する人の事を考えて自分の矜持やらを大事にした上でグルグル回る事だと思います。
何もかもを受け止める事が全てじゃないはずだ!
跳ね除けて、押し付けて、押されて、そうやってお互い全力で挑めばいい!受け止める時は何が何でも受け止めればいい!
二人でしょっちゅう仲良く喧嘩して血を見てたらいいいと思います!(主に仙道さんが)
なんて素敵なこの眺め!
まさかあんな絵から発生したとは思えないくらいの素敵な仙流ありがとうございます!!
幸せってまだまだ手を伸ばせばつかめる場所にあった…!
どうしよう嬉しすぎて大変だ。もう大変だ…!
木島さん、本当にありがとうございましたっ!!
2009/9/24